たいこらいふ

 

 

私、好奇心はいつも旺盛でした。
とりあえずやってみて、
それなりにできちゃうけど、続かない。

よく「たくさん経験していてスゴイ
私は結局おなじことしかしてないし」
なんて言われることがあるけれど、

私にしてみれば、飽きやすくて
気が散りやすくて、持久力がないのが
ずーっとコンプレックスでした。


とはいえ、私を表現する
ひとつの言葉として「自己実現」って
言ってもらったことがあるように、

自分でも、とにかくやりたいことを
形にしてきたな~って、思います。
質はさておき(苦笑)。


まず、細かいことを考えずに
「やる」って決めちゃう。

楽観的に、成功するイメージだけで、
悪い結果は考えもせずに。
(オイオイ。少しは考えましょーね)

すると、いつも強力な協力者を得て、
夢は、どんどん実現していきました。

そして、カタチになってから、
勉強不足や経験不足が浮き彫りになって
あとから焦って穴を埋めていく感じ。

勢いのみで危なっかしいのに
案外わりと上手くいくことが多かった。

それは、「決める」ということを
できていたからなのかなって思います。

 

 

(1999年発売のミニアルバム【MamaGAIA】)


そんなこんなで、どんどんと
自己実現はしていくのだけれど、

なかなか続けることができず、
漂流していたようにも思います。


そんな私が、唯一苦なく続けられたのが
ジャンベ(アフリカ太鼓)でした。

 

 

 

 

「太鼓」との出会いは幼稚園です。

卒園式で大太鼓を叩いてから、
小学校で鼓笛隊(中太鼓)、
中学校で吹奏楽(パーカッション)、
高校はバンド(ドラムセット)活動、

そして、二十歳でジャンベと遭遇。

大好きなヒップホップグループ
Arrested Development のメインMC、
「SPEECH」のソロライブで知りました。


なんで、ジャンベだったんだろ。

それは分からないです。

でも、私にとっては
「続く」ってすごく価値があること。

続けられただけで、嬉しいんです。
だから、すごく大切にしています。



初めてジャンベを買ってから
一週間は抱きしめて寝ました。
いや、ほんとに(笑)。

一回だけ参加したジャンベ教室で
「君にはアフリカの血が流れている」と
先生に言われて、その気になって。

そりゃあもう、のめりこみました。

6kg以上ある太鼓を持ち歩いて
隙あれば鳴らす日々。

当時生活の中心だった音楽活動も、
自作の曲を、ジャンベを鳴らしながら
歌うようになって、活動の場が増えて。

最初は、注目を浴びたいという
ナルシスティックな姿勢もあったけど

少しずつ、なんていうか、
自由になった感覚がありました。

 

 

(劇団 La compagnie A-n へ客演したとき)


たとえば、フランスの公園で
太鼓を鳴らしながら歌ってると
わーっと人が寄ってきて輪になって。

歌詞なんか分かるはずもないのに
「伝わったよ。ありがとう」って
言ってもらえたりするんです。

私が必死になって増やしてきた
言葉とか知識とかの
コミュニケーションツールを、

やすやすと超える、つながり感!


その心地よさにハマって、
ついに私はケニアへ飛びました。

そこで出会った、ナイロビ大学の
アフリカ文化学教授Juius Shutu氏から
NGOMAと呼ばれる太鼓を学びました。

山奥の、水道も電気もない村で、
太鼓そのものと言うよりも、
太鼓のある生活を、学びました。

自分をからっぽにして、委ねる。

そんな新しい感覚を、
身体に記憶させていきました。

今でも、ちょっと、夢みたい。


私を認めてよ
私を知ってよ
私を理解してよ
私を受け入れてよ
私を愛してよ

そんな風に、自分を出すことばかりに
ずっとこだわって走り続けて、
少し、疲れて迷子になっていた時。

私は、太鼓を鳴らしながら、
一瞬だけど、「無」を感じました。

それはね、すごく静かで、
満たされた感覚だったんです。


★ ★ ★


師匠から、日本に帰ったらNGOMAを
伝えていってくれ、と言われた私。

ケニアから帰国してから、
なんとか実現しなくちゃって思って
太鼓の教室をはじめました。

ケニアから持ち帰った太鼓は、
日本の気候に合わなくて、
全く音が鳴らなくなってしまった。

で、やっぱりジャンベだな~って
思ったんです。

ジャンベは、
あらゆる気候に対応できる。
四季のある国、日本に最適だ!って。

それで、ジャンベについて考える時間が
どんどん長くなっていきました。


保育園や養護学校、老人ホーム、
様々な場での演奏が増えて、

その度にジャンベの奥深さに
ため息がでました。


ジャンベのことを知れば知るほど、
太鼓そのものを尊敬していきました。

それまでの私は、基本的に
えらそーなところが強かったんです。

楽器に対して「使っている」
って感覚しかなかったなぁ。

でも、ジャンベだけは、なんか

勝てない

って、感じていました。


そもそもはじめから、
太鼓は戦う気なんて全くない。
一人空回りしていただけ。

それまでの私がダメダメなんだけど、
今は、楽器を尊敬できないと、
本当に演奏することはできないと思う。

それを、自然に感じさせてくれた
ジャンベっていう太鼓の存在は
本当にありがたいものです。


★ ★ ★


そう感じた頃から、教室をやめて、
ワークショップをはじめました。

私が教える、というスタンスは
もう、しっくりこなかったから。

一緒に見つける。
みんなで、見つける。

そう決めたら、そこからは、
もう、パラダイスでした。


毎週毎週、楽しくて仕方がない。

今度は
どんなメンバーになるんだろう?
どんな展開になるんだろう?

そこには、驚きと発見がありました。

太鼓を触っていると、自分のことも
人のことも、よく分かるんです。
音に、だだ漏れだから。

そうやって、赤裸々な自分で
一番素直にコミュニケーション
できるのが、ジャンベでした。

私もただの参加者のように、
きっと誰よりも楽しんでいました(笑)。

ジャンベのワークをしている時だけは、
他にどんだけ辛いことがあっても
幸せでした。


★ ★ ★


でも、その数年後。

DVから逃げて、全てを失った
としか考えられなかった頃に、

私はもう、太鼓は鳴らせない、
と、自分に刻み付けました。

※このくだりに関しては
私がセラピストをしている理由① へ 




毎週ワークショップに来てくれていた
大事な仲間たちを裏切ったから。

信頼も、何も、すべて失って、
私には太鼓を鳴らす資格なんて、
ない、と思った。


だけど、カフェをやっていた頃の
古い友人が声を掛けてくれて、
公園で太鼓に触る機会をくれました。

太鼓の打面に、手をのせる。

皮が小さく響いているのが分かる。

皮の感触が手を温めてくれる。

全て許して受け止めてくれる
偉大な太鼓の存在がそこにありました。


私は、鼻水と汗と涙にまみれて
ひたすらジャンベを鳴らしました。



カナダでセラピーの勉強をしていて
ふと、地元の人とつながりたい
と思ったときも、

「ジャンベを鳴らしたい!」
って欲求が湧き上がってきました。

そして、貴重な仲間ができました。

 

 

(カナダ【Vancouver Jam Band】メンバーと)



実は今、自分一人きりの時は
太鼓を叩きたいって
ほとんど思わないんです。

でも、一人でも、太鼓に触りたいとか
太鼓を聴きたいとか、
太鼓に関心を持っている人がいれば、

あるいは今はまだ関心がなくても、
あれ?なんだろ?って
思ってくれる可能性があるなら、

いつだって、太鼓を鳴らしたい。

そして、つながりたい。

まずは、私自身と。
そして、私以外のすべてと。



2013年新春。

とても、とても、幸せなことに、
今一度、周りから求められて
太鼓のワークショップを再開しました。

大事に大事にこのご縁を育てて
これからもジャンベの気持ちよさを
伝えて行きたいです。

 

 

【セラピストをしている理由①】