私がセラピストになった理由 1

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人生の底辺と転機。
私がセラピストをしている理由。

ここでは、酷い暴力の描写や
絶望があふれますので、苦手な方は
読み飛ばして【今】をお読みください。

でも、その部分があったからこそ
私はセラピーの素晴らしさを深く実感でき
今のセラピストの活動へつながりました。


★ ★ ★


高円寺で開業したカフェぱちか村
「都会のオアシス」を目指して、
くつろげる空間を心掛けていました。 

お店に来てくれるお客様の中に、
熱心に毎日通う男性が現れました。

その男性は、見た目は若者風ですが、
少し恥ずかしがり屋で、優しくて、
誠実そうに思えました。

最初は恋愛対象ではありませんでしたが
彼の「精一杯」を感じさせる愛情表現に
少しずつ心が惹かれて行きます。


好きになる人には彼女がいたり
結婚願望が全くなかったり
付き合っていることを隠したがったり

とにかく、まともに付き合えなくて、
「私は男運がない」と焦りを感じていた
20代の終わり頃でした。

彼が私のことを、歳を取って行ったら
もっと素敵になるんだろうね、なんて
言うのを聞くたびに、

この人なら私を幸せにしてくれるかも
しれない、と思ったものです。

そして、「お茶飲み友達」を経て、
おつきあいすることになりました。


ところが、付き合いだした途端に、
突然人が変わったようになり、
言葉の暴力がはじまりました。

「何様だよ!」「馬鹿か!」からはじまり
「今まで生きてきたこと全て無駄」
「死んだ方がマシだ」と罵倒される。

予期できないタイミングで暴発して、
言い返せばその3倍で返ってくるし、
黙っていても激化するばかり。

そしていつも「怒らせるあんたが悪い」
と締めくくって気が済むと、

「あきちゃんが一番可愛い」
「一番愛している」などの、他の誰も
くれなかった言葉を何度でも口にした。


私は、彼と付き合うようになるまでは、
暴力を振るうような男性は
絶対に嫌だと思っていました。

だけど、怒鳴りながらも
「愛しているから黙っていられない」
と言われると、

こんなに想われているのだと、
嬉しく感じてしまったのです。

それに、そこまで激しい彼を
受け入れられるのは私ぐらいだと
自分の価値を感じることができました。

同時に、彼を怒らせている私がダメだと、
自分を責めるようになりました。


DVは、こうしてはじまります。

暴力的な男性(あるいは女性)が
そこにいるだけでは、DVになりません。

それを受け入れる女性(男性)がいて、
はじめて成立するのです。

つまり、あの時、
私自身がDVを選択していました。



言葉の暴力は、少しずつエスカレートして
私を追い詰めていきました。

付き合いだして三ヶ月目、その年の暮れに
激しく攻撃された私は、逃げたい一心で
2階の窓から外へ飛び降りました。

窓の外に立っていた樹と、その向こうの
コンクリートの塀に身体を打ちつけ、
雪が残る冷たい道路に放り出されました。

そのまま警察へ行って保護してもらおう。
あの時は、確かにそう決心していました。

そして歩き出した私を、彼がつかまえて、
何発も殴られ、部屋へ引きずられました。

それが、最初の肉体的な暴力でした。

部屋へ戻ってから、彼の罵声は続き、
私は放心状態で聞いていましたが、

後半の「俺の大好きなあきちゃんを、
ダメにするそのエゴに怒っているんだ」

「そんなことで俺の大事なあきちゃんを
あきちゃんを殺さないで欲しい」

「手をあげて悪かった。
 もう二度としない。」


などの言葉に、揺れ動きます。

ああ、この暴言も暴力も、
「私が愛されている深さの現われ」
なのだ
と思うようになりました。


その後、彼は半年に一度くらい
肉体的な激しい暴力を振るいました。

私はその度に、その暴力を
愛の形として受け入れ続けました。


彼は私と出会ったときには、
熱心に仕事をする人だったのに、

私と付き合いだしてすぐに
仕事をやめてしまいました。

その後は、新しい仕事を始める度に
すぐにケンカして辞める繰り返しでした。

その度に部屋の中で暴れまわるんです。

ぐちゃぐちゃになった部屋の中で、
ついに絶望して別れ話をすると、
彼は包丁を持ち出しました。

「お前を殺して俺も死ぬ」
泣きながら言いました。
「あきちゃんは俺の全てだから。」

そんな、ドラマでも使わない台詞に、
私の中の決意は溶けてしまいました。

これ以上愛してくれる人は、
もう他にはいないという思い込みとなって
私自身に受け入れられました。


★ ★ ★


日常的に自分の考えていることや発言を
人から全否定し続けられたら
どうなると思いますか?

私は、自分の感覚や感情を
麻痺させることで
自分を守ろうとしていました。

この人と結婚したら大変だと思いながら
自分自身の感覚と思考と選択をあきらめて
私は彼と結婚してしまいました。

結婚式の前3日間も、ずっと怒鳴られ続け、
逃げたい逃げたいと思いながら、
眠れないまま、式を迎えたものです。


なぜ、何度も別れようと思ったのに
別れることができなかったのか。

なぜ、この人と結婚したら終わりだと
思いながらも結婚してしまったのか。

今振り返れば、やはり洗脳状態に
あったからだとしか言えません。

では、なぜ、洗脳されてしまったのか。

それは、セラピーによって、私の中に
はっきりとした答えが見つかりました。




その後、私が経営していたカフェを
二人で運営することになりました。

他のスタッフは全員やめて、
毎日、本当に朝から晩まで二人きりで
一緒にいる生活が続きました。

彼は、朝は起きることができず、
開店に間に合うことはなく、
遅れてやってきて厨房で怒鳴りだす。

早い時間から酒を飲んで更に怒り、
夜中には私を説教するのでした。


彼が思いついたことを私に指示して、
実際にやるのは私。

私は毎日の緊張感と睡眠不足で
いつも朦朧と過ごしていました。

トイレにいる時だけが、
一人きりでホっとできる時間でした。


彼は、それまで店を支えてくれた常連客と
ケンカをしては追い出しました。

私が集めた家具や、
それまでのお店の歴史を廃棄しました。

私がライブをすることも禁止され、
昔の友達と連絡を取ることを禁止され、
母と連絡を取ることを禁止されました。

私がどれだけ反対しても
一方的な考えで無理やり内装を変えて、
莫大なお金をかけてメニューも変えて、

やっと落ち着いた頃に
「やっぱり違った」と言って
また総とっかえになるのでした。

そんな状態だったので、
店の経営はどんどんと悪化しました。

そのことがまた、
彼の怒りの炎に油を注ぎました。

でも、私さえ頑張れば、なんとかなる、
今を踏ん張れば、彼もきっと丸くなる、
そんな風に自分を激励していました。


それでも、精神的な暴力は、
5年の間に、毎日の激しい罵倒へ発展し

肉体的暴力の暴発は3ヶ月に一回へ、
そして月一回、週一回へと増えました。

彼は私に
「あんたはどんな精神状態でも
笑っていないといけない」と言い、

カウンターごしに冗談話をさせながら、
その影で、私の足にあざができるほど
激しく強く蹴るのでした。

お客さんからは「楽しい夫婦だ」とか
「あきちゃんはいつも元気だね~」
などと言われていたけれど…

実際は、もし彼がキレない日があれば、
翌日爆発するのではないかと
より恐れる状態になっていました。



つづき
セラピストをしている理由②