私がセラピストになった理由 2
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その間に子どもができました。
結婚して一年半ほど経った頃です。
私は若い頃から子どもが欲しくて仕方がありませんでしたが、
彼との間に子どもができることを怖いと思っていました。
その子を幸せにできる自信なんてこれっぽっちもありませんでした。
それでも、お腹の中で少しずつ大きく育つその存在に、私は救われました。
愛しくて愛しくて、この子の為に、頑張ろう、強くなろう、そう思ったものです。
私が絶対にこの子を守るんだ、と。
また、同時に、子どもが出来たら彼は変わるかもしれない、とも考えていました。
妊娠中に私がいなくてもお店が成立するようにスタッフを増やしましたが
彼のやり方と、それに染まった私のやり方と合わず、誰も長続きしませんでした。
そして
子どもがいては、私が仕事をすることができないという理由で、
生まれて間もなく、遠く離れた彼の実家へ預けさせられました。
泣いて嫌だと言ったけれど、それはお前のエゴだと言われ、ねじ伏せられました。
可愛くて仕方の無い子どもを、まだ二ヶ月にもなっていないのに飛行機に乗せて
私の手で、彼の両親へ渡したのです。
それからまた暴力は激化して、本の詰まった本棚を私に向けて倒されたことも、
頭をつかんでコンクリートの壁に打ちつけられたこともあります。
それでも踏ん張っていた背景には、守りたい二つの存在がありました。
ひとつは、唯一、彼から奪われても必死に守り続けた
ジャンベのワークショップへの参加者や、
お店に集ってくれていたお客さんたちの存在でした。
彼らをがっかりさせたくない。 この場所をなくしてはいけない。
その想いが、私をなんとか支えていました。
もう一つの大きな理由は、子どもの存在があったからです。
私が頑張らないと、あの子を守れない。
なんとか、子どもが離れているうちに、彼の暴力が納まるように
私が頑張って彼の怒りを引き起こさないようにならなくちゃ。
そう、思っていました。
驚くべきことに、そこまで行っても、
私は自分が『DV』に合っているとは思っていませんでした。
夫婦でDVの特集をしているテレビをみて、「大変だな」などと言ったり、
夫が冗談でDV被害者保護のチラシを私に渡したりしたこともあります。
「たまたま、愛の形が暴力的に表出しているだけ。」
そんな風に思って、私さえ努力すれば、
いずれ暴力的な表現はなくなると信じていました。
毎日、いつ暴力がはじまるか、ビクビクおびえながら。
いつか子どもと一緒に生活するんだと思いながら頑張っていた日々に
しばしばあきらめのムードが漂うようになったのは、
子どもから激しく人見知りをされるようになってからでした。
私は、子どもから、必要とされていない。
そう感じた時に、もう、消えてしまいたい、と思うようになりました。
一度、元夫が怖くて仕方がなくなって、彼の実家の九州へ逃げたことがあります。
彼の両親に泣いて助けを求め、もう二人きりでは無理だということ、
娘と一緒に暮らしたいということを訴え、彼らもそれを応援してくれました。
それでも、実際に元夫が九州へ来て話をしだすと、
私の中の洗脳スイッチが入り、「やっぱり東京で二人で頑張る」となるのです。
5年間、自分の中に染み込ませてきた洗脳状態は、そう簡単に解けないのでした。
だけどある日、また些細なことで激怒した夫は、ガラスの灰皿を私に投げつけ、
私の首筋が切れました。
お店の食器を次々に割られ、体中を殴られ、蹴られ、
それが三日続いて、私は動けなくなりました。
彼はもう暴力後も「俺が悪かった、暴力は振るいたくない」と言わなくなり
「俺は悪くない。お前が悪いから俺が殴りたければいつでも殴る」と宣言しました。
ああ、死ぬ。
このままでは、私は死んでしまう。
強烈な恐怖と共に、私は自分の現状に気付きました。
そして、はじめて、心から逃げようと思えたのです。
あのとき逃げて、本当に良かった。
今DVに合っている方がもしこの文章を読んでくれているなら、どうか、
「生きる」という選択をしてください。
肉体的な暴力はないから、と我慢している方、
人間は、精神的暴力だけでも、受け続けたら死んでしまいます。
逃げて、いいんです。
逃げたいと思っても、まだ躊躇していた中で
怪我を隠しながら会った友人に、精神的暴力の部分を少しだけ話したときのこと。
「逃げちゃえば? 逃げなよ、あきちゃん。 逃げていいよ。」
という、無責任な一言をもらいました。
お酒を飲んで、酔いが進む中での一言。
さらに私が、漫画を描いていた彼女に対して、
「いつか、彼が丸くなって、笑い話になったら、私たち夫婦をネタにして書いてよ。」
と言うと、「無理。笑えないもん。ネタになんないよ。」と言われました。
こんなに我慢しているのも、いつか笑える日が来ると信じているから。
そんな風に思っていた私にとって、衝撃的な言葉でした。
私たちは、誰も、誰かの人生を変えることなんてできないけれど、
「無責任な本音」というのは、響くんです。 まっすぐだから。
私はその時はじめて本気で決めました。
逃げて、生きよう。
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